万延元年(1860年)下町に屋台出来ると記載があり、江戸後期の激動の時代の作として以後、運行していたと思われます。

 宿場町として、相応の発展をしつつも変革はあったと思われますが、相当大きな屋台で、回り舞台が内蔵され、方向転換も上台と下台を組み合わせての打ち込みクサビで止めるだけの単純構造です。方向転換時にクサビを外すことで上台全体を押し回して方向転換するなど、県内でも珍しい回転方式や大型の屋台である事から「大屋台」と云われております。

(山車と大屋台の違いは他の文献をご参照ください)

 大屋台は、現在会津美里町(旧会津高田町)に当町より小ぶりではありますが、装飾も豪華な大屋台が4台あります。

 第二区自治会の大屋台の現存寸法は、横幅5.5m、高さ5,5m、長さ8mですが、この大屋台の横幅、高さとも街なかの電柱が障害となり、切り詰め寸法で運行していると教えられました。

残念なのは、切り詰め前の図面が無く、昭和21年運行時の傘揃い(かさぞろい)の写真から想定される寸法は、当時の尺貫法で推察すると縦・横3間半(6.3m)、長さ5間(9m)あり、旧町内を南北に引き回すことも可能な道幅は最低5間(9m)であり、現街道に合致した寸法ではあります。

 可能なら、電柱の埋設を行い宿場町の風情ある街並みを残せれば地域振興の一助になると町長や町議へは時々話をしておりますが実現の可能性は現在のところございません。

 

 また、地域紋章は丸北を用いており、大屋台の飾り赤龍、青龍の合わせ目、両側の飾り戸の上段の彫り物中央、神棚の彫り物中央に刻印で残っており、この事から別添で地域紋章の考察をしており、古老や親の話から推論ではありますが別添の通り記載し、後年のため各行政区長のマニュアルに閉じこんでおります。

 

                               矢吹町第二区自治会 会長 大野康統